私のモバエム日記。
2023年1月5日、ソーシャルゲーム版『アイドルマスターSideM』(以降モバエム)のサービスが終了した。
このnoteでは『モバエムで友人が出来たことにより少しだけ人生が豊かになったオタクのモバエム人生』についてまとめていこうと思う。
ドラマチックなことなど無いが、なんだかんだ楽しんでいたんだということだけ伝われば幸いだ。
なお、担当への愛語りを入れるとありえん長文になりそうだったため今回そのあたりはあまりない。
1,SideMとの出会い
前提として、私は友人達の好きなものの話を聞くことが好きだ。街中を歩いていても友人の好きなジャンルのキャラクターなどを見かけるとその友人のことを思い出すし、実際に話を聞いて触れてみることが多々ある。
SideMも友人の『好き』を聞いた結果触れることになった作品だった。
友人は765を追っている男性PでJupiterの活動を緩く追っていただけのようだったが、1stライブ(以降ファスライ)の円盤を買う程度には熱を入れてくれていたらしい。
円盤を貸してくれた時には買ったばかりで誰かと面白さを共有したかっただけのようだったが、それまでアイドルコンテンツを追ったことのない私には友人からの期待を上回る衝撃だった。
これが私とSideMの出会いだ。後に件の友人に「あんなにハマるなんて思わなかったよ……」と若干引き気味に言われることになる。
2,モバエム初心者
これまでの話の中ではさもファスライで初めて触れてモバエムを始めたオタクのように見えるが実は少し違う。本当はファスライを見る前には既に私はモバエムに触れていた。更に言うと軽いプレゼンも受けていた。
その先輩Pは元々別界隈でとても仲が良い友人だった。プライベートでも遊ぶような関係だったが、ある時『店舗によって特典が違うが、全て欲しくて困っている』といった旨のツイートをしており、該当店舗の近くによく行っていた私は何も知らないまでも友人の力になれればとその相談に乗った。
そうしておつかいをしたのがBeitとHigh×Jokerの1stシングルである。
そうして「iTunes入れて良いからね!モバエムよろしくね!」と言われた私はなんかわからんまま取り込み、「ホアー男版のアイマスかー」ととても雑な感じで先輩Pに唆されるままに始めたのである。
なおここまで読んでいる人ならばきっとモバエムがどんなゲームかはご存じだと思う。
特に初期のモバエムは酷いものだった。自動営業なんてものは無かったし、雑誌があっても読むには連打をしないといけないという苦行だった。
キャラ愛どころかアイマスへの思い入れが欠片もない私に続けることなど出来る筈もなく、とりあえず雑にガシャを回し、以降触れることはなかった。
先輩Pが婚活英雄で狂い、ガシャを回しまくるのを見ながら「この人大丈夫なのかな……」と心配することはあっても、再びモバエムに帰りたいとは思わなかった。
↑手持ちは酷い有様。
数年後、ファスライ鑑賞を経てのこのこと戻ってきた私の目の前には沢山の供給があった。セカライ、アニメ、エムステなど最高のタイミングだったように思う。
しかし、私がしっかりとモバエムも触れようと覚悟を決めた時には先輩Pはもう既に引退していた。
原因は色々ある様子だったが、彼女は私に「楽しんでるオタクに水を差したくない」と話してはくれなかった。
「もしこれからモバエムやるつもりならカードあげるよ」と言う言葉に甘え、先輩Pからカードを貰った。
蒼井享介のSR+数枚と、伊集院北斗の恒常SR一枚、そして多分使えるからと九十九先生のSR+一枚だった。
WとJupiterが気になっていることを話していたからそのチョイスだったのだろう。彼女曰く「英雄はインテリDaだったから享介集めてたけど、少ししてからインテリViだって気付いたんだよね」と。
確かに運動神経とかいろんなことを考えると何でDaじゃないんだろうって思うよね、顔がいいのでViなのは納得です(顔がいいので)
そしてついにSideMに本格的に足を突っ込み、やはり情報を得るにはモバエムと向き合うしかないと思った私はまずはデッキを完成させることにした。
雑にガシャを引いていた時に引いていた北斗のSRがあったので、先輩PにもらったSRを使ってチェンジさせた。私の初めて引いたSRは恒常北斗で、初めてチェンジさせたSRもこの北斗だった。
↑貰った当時のスクショがなかった。これは数か月後の手持ちの一部。
マラソンのランボが多いところに過去のレートを感じる。
デッキを完成させるまでの過程は決して楽なものではなかったが、時折長チケや確定チケのご縁があったりと比較的ガシャ運には恵まれていたと思う。
一人きりでプレイしていた時、私にとってのモバエムは株ゲーであり、資産運用ゲーであった。
そして話はデッキ完成前まで飛ぶ。
その頃私は二次創作で小説を書いていた。Jupiterをメインに、たまにWが出てくる話だ。有難いことに話ができるフォロワーも増えた。
中にはモバエムをガチでやっている人や、やはりゲーム性と初見バイバイのせいで追えるものだけ追っている人もいる。
担当は違うけどJupiterが好きだからと言う人もいれば、ただSideMが好きだと言う繋がりだけで繋がった人もいた。
みなさまお疲れ様です!
— 『Jupiter&W』アンソロジー (@JuW_anth) 2020年1月5日
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タイトル:カレイドステージ!
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↑お品書きに並んでるのでよろしくです!!!!!!!!!
一人で緩く活動しながらもモバエムの方はもう少しでデッキが完成する期待と、アニメで入ってきた新人P達の先輩面をしてイベントの走り方を教えたりすることを楽しく感じていた。(デッキ完成してない癖に)
そんな時のことだった。
後にチームのサブリーダーになるフォロワーから「かなたさんのチームに入りたい」と言われた。多分繋がりたいタグで繋がったJupiterとAltessimoPだ。しかも私からすれば先輩Pで、デッキも揃っているしイベントだって何度も走っているようなすごい人だった。
それだけ整っているならわざわざ私のところに来る必要なんてないだろう。私が住んでいる廃墟は私の勉強不足で驚くことにレベルすら上げてすらいなかった。
それでも彼女は私と一緒にやりたいんだと言ってくれて、チームのレベルをマックスまで上げるだけでなく知り合いのチーム難民を数人連れてきてくれた。二次創作の方面で関わりのあったフォロワー達も数人入ってくれた。そうしてチームが動き出した。
https://shindanmaker.com/894650
↑幣チームのクソ診断です
3、チーム『トキメキ☆スイーツクラブ』
「特に意味はないけどムカつく名前にしよう」と私が適当につけた名前に集まった人達の担当はJupiterに寄ってはいたものの見事にバラバラだった。
中にはプラトロを持っているプロデューサーもいた。私からすれば雲の上の人だったので、初対面は少しビビった。なんだってこんな弱小チームに来たんだ。
とは言えほとんどがデッキも完成していないPだった。
しかし、チームになったことで多少なりとも仲間意識が芽生えたのか、担当が来た時にはとにかくスタートラインに立てるぐらいのサポートをする流れができていた。
「私は〇〇何人出せるよ!」と言えば他の人が同じか近しいステータスのアイドルを出してくれる。金トロ以上を走りたいけど誕生日特効のアイドルがいないと言えばフォロワーが貸してくれる。
時にはフォロワーがフォロワーから借りてきてくれることもあった。私も話したこともないフォロワーのフォロワーに貸すことがあった。完全にチーム内互助会である。
『ギフト』と言う機能はモバエムを象徴していたと私は思っている。
この機能があったから私はこのゲームを楽しめた(フリトレ入れてくれとかギフト上限増やしてくれとかまとめて選ばせてくれとか不満は多々あったものの)
時折カードを貸すと称して同僚に担当のプレゼンをしたりした。Wはとても綺麗なカードが多いので良いねと言われることが多くて嬉しかった。
その頃はまだモバエムを担当プレゼンジャンルだと思っていた節はある。
サブリーダーからチムイベを走ってみないかと打診されたのは「導きのワルキューレライブ」の時のことである。サブリーダーは神谷Pでもあった。
今までの私にとってチムイベは休憩の時間だった。比較的取りやすい上位だとは聞いていたが、悠介上位の時すらも足を引っ張ることを恐れて傭兵に行くことをしなかった。
そのため、サブリーダーから「走ろう」と言う提案を受けた時、快諾とはいかなかった。
そもそも初めて走るのだから指示出しのやり方も分からないし、走る人達も走り方がイマイチ分かっていなかったのだ。
しかし、このチームで走りたいというサブリーダーの気合いと、デッキは完成していないが走ってみたいイベントだからと言うチムメンに感化され、私はそのイベントで初めてチムイベの指揮を取ることになった。
調べたものの、本当にこれで正しいのかわからないまま私はチムメンに指示を出した。
どれぐらいみりきを入れればどれだけ発揮値が出るのかも分からなかったが、「10秒前くらいにぶっ込めば誰も越せないだろう」という誰かの意見に便乗してやったことが上手くいったことから弊チームは勢い付いた。
勝てた時の喜びは一入だった。
全員雰囲気でチムイベをやっていた。
後に私はチムイベでプラトロを取ることになるのだが、そこに至ってからようやく私はこの時のサブリーダーがいかに大量のアイテムを使って頑張って走ってくれていたのかを知る。ここで言うのもおかしな話だが、その節は本当にありがとう。
初めてチムイベでSRを手に入れたことはとても嬉しかったし楽しかった。
まくられそうになることも多々あり辛い面も勿論あったが、それを上回る満たされた気持ちでまたやりたいとすら思っていた。
チムメンも同じ気持ちの人が多かったと思う(そうであってほしいと私は思っている)
このあたりから個々人の戦力が付いていき、チームとしても栄えていくことになる。
ライブなどのオフライン対面や近場に住んでいる人達とヲタ活をしたりとメンバー間も仲良くなっていった。
https://shindanmaker.com/993422
↑チムメンの名前を作るクソ診断も生まれた。
4.アニバーサリーイベント
チムメンも着々とデッキを完成させていく横で私はアイテムを貯めていた。毎日のようにライブでのバー集めに勤しみ、ランボを一枚抜いてはアイテムかまだ持ってない担当のカードに変える日々。
目標があった。プラチナトロフィーだ。
イベントランキングで上位数十人になることでしか手に入らない貴重なトロフィーは輝かしい見た目も相まって栄光と呼ぶのに相応しい。私はそれが欲しかった。
プラトロを持つフォロワーがチームに入った、逆にチームに入ったフォロワーがプラトロを手に入れた。それを見た私も一つの憧れとして漠然と持っていた目標だ。そして私は決めていた。
JupiterとWの両面で来る筈のアニバーサリーライブでプラトロを取る、と。
サブリーダーがチームに入る時にプラトロを取る方法を相談したこともある。
イベント経験も十分だ。チムイベ以外は1000位〜80位程度なら入ったことがある。
幸いなことにお祭り事が大好きなチムメン達はJupiterPに寄っていることもあって、ほとんどが金トロを目指すらしかった。そうして欲張りな私はチムメンともう一つ画策をするのだ。
その後、アニバーサリーライブで弊チームがチーム一位をぶっち抜くのだが、それについては当時の備忘録を読んで頂いた方が等身大で分かりやすい。
久々に読んだのだが、この人はとても楽しそうで幸せそうだと他人事のように思った。
↑文体変わりすぎだろ
私のモバエム人生で一番楽しいイベントだった。一人で走っていればきっと早々に心折れていたが、チムメン達と傭兵さん達のおかげで走り切ることが出来た。
イベント的には11日は長い方だが、大好きな担当両面で愉快な面々と走る日々は私にとってはたった11日の出来事だった。
5.カードレートの崩壊とクソカスコロナ
ずっと続くと思っていた楽しいモバエム活動だったがやはり長くはいかないもので、コロナを機にチムメンだけでなく私のモバエム活動は次第に尻すぼみになっていった。
プラトロを取ったことで大きな目標を失った私は「次両面いつ来るかな〜」とぽやぽやしながらもミニバーとアイテムを貯めた。
モバエムに起きたその現象を前にすると以前のように毎イベ一枚取るぞ!と言う元気は無くなってしまった。
私が始めたての頃はランボですら130〜280ゼリーが普通だった。ガシャは800前後だったか、皆とりあえずイベントを走ってはゼリーと交換して貯めたり、他のカードと交換していた。
しかし、アニメ後sideM人気は高まり、モバエム人口も昔よりは増えていたのだろう。
或いは一人でカードを手に入れることができない新人Pが自分で二枚手に入れられるほどに成長したのか。需要と供給のバランスは崩れていった。
とにかくゼリーを飲んでイベントを走っても手に入れたランボをゼリーに交換できる保証もなければ交換できてもプラス分が微々たるものだったりと、交換してまで手に入れる人はどんどん減っていったように思う。
私が隠居を決めたのはランボが60あたりになったあたりだっただろうか。言ってしまえば資産運用ゲームとして楽しめなくなってしまった。
担当は大好きなことは変わらない。ハマりたてのようにブラインド商品を買えばすぐに交換を探すようなことは減ってしまったが(そもそもグッズが多すぎて買わなくなった)、フォロワーに担当のことを語ってくれと言われればすぐにでもDiscordかもくり集合と言うだろう。
しかし、その頃のモバエムは私にとってはもう楽しくなかった。担当のカードも自分で二枚手に入れられるし、一枚程度のレートならビンゴとチムイベのアイテムをゼリーにしていればどうとでもなる。
チムメンどころかフォロワーでモバエムをまともにやっている人がほぼいなかったことが一番効いた。
6、JaWsイベ
UPCでJupiterとWのボイスを回収し終えると、私はモバエムを隠居し、相応しいイベントを最後に引退することを決めた。
仕事が変わり以前のように大量の時間を溶かすことは出来ないが、アイテムはあったのでプラトロには入れるだろうと思っていた。
最後のイベントは皮肉にもチームイベントだった。しかも悠介上位、もうガシャ側に担当がいるからと担当外を走る人どころかブロマイドを手に入れようとする人もチムメンにはほぼいなかった。
私はプラトロラインを走るために傭兵に行くことにした。
チムリやプラトロ経験のおかげか有難いことにすぐ行き先は決まり、しかもチムイベをしている人達ならば一度は名前を聞いたことがあるであろう強豪チームだった。
嬉しいような寂しいような複雑な気持ちだった。本音を言えば最後くらいは自分のチームで走りたかったがこればかりは仕方がない。
私はとにかく貯めたアイテムを使い切るつもりで走った
私にとっては最後のイベントだったし、アイテムの残量を気にせず走れるのは気持ちが良かった。
傭兵先のチームの戦力も盤石で、最終的にプラトロ2位に終わる私と、1位を独走していた人、他にも金トロ勢がちらほらといたのだから当然と言えば当然なのだけど。
私はUPCでJupiterとWのボイスを回収し終えると、モバエムを隠居、そして最後に相応しいイベントを走り引退することに決めた。
楽しかったと言えば楽しかった。安心して勝ち切ることが出来ることはメンタルに良い。プラトロは自分との戦いなので比較的緩く走ることが出来た。
ただ、この件については私が備忘録を書いていないことからも察してほしい。
かつて夢中で駆けずり回ったあのチームで走りたかったと、今でも思っている。
7、おわりに
かくして私のまあまあ長いモバエム生活は終わったのであった。
誰よりも楽しんだとは言えないが、少なくとも「もしかしてソシャゲは時間の無駄なのでは?」と常日頃から考えている私でもこの時間は決して無駄ではなかったと思うのだからきっと良い時間だった。
その後間も無くしてサ終が発表され、最後のイベントを手癖で走ったりなど引退とは?となることはあったが、一時期は毎日ログインしパネミやミニバー集めをきっちりやっていただけに、その頃の私に比べればやっていないようなものだ。
SideMは今も好きだ。フォロワー達のおかげもあってか新情報は逐一追えているし、ライブに行く欲もあるがサイスタはプレイしていない。
昔のように何でもかんでも手放しに喜べる時期は過ぎてしまった。今の私は先輩Pが引退した理由も少しわかる。
しかし、私にとってSideMが愛憎を向けるジャンルになったとしても、モバエムで過ごした数年はかけがえのない思い出である。そう思わせてくれるチームに出会わせてくれたサブリーダーには感謝してもしきれない。
人によってはこの楽しみ方を『推し活ではなく推しを通して友達と遊ぶのが楽しい人』とやじるかもしれない。私も自分に対して同じことを思っているが、楽しかったことは紛れもない事実である。
私はモバエムを通して担当を応援しながらも友人ができた。今でもその友人達とは一緒に遊びに行く仲である。モバエム人生は終わったものの、モバエムが残したものは今も生きている。
今日私の家にセレポのアートグラフィーが届いた。自分の中では大分削ったつもりでもいい値段になってしまった(TLにはもっと頼んでいる人はいるが)どれも大好きなイラスト達で、私が後生大切にしていたカードでもある。
↑先輩Pから譲ってもらったカード。めちゃくちゃ思い入れがある。
↑この二枚を見る度に走った時のことを思い出す。
私たちが出会った場所は無くなってしまったが、幸いなことに今もよく遊ぶ仲だ。これからも何か事あるごとに遊ぶと思う。いつかまた「あの時楽しかったね」と話が出来たら良い。
モバエムは私にとって青春だった。
おわり
(おまけの自慢)
サ終後サブリ含めチムメン数人とディズニー行きました(超楽しかった)
グチャァ……